子ども時代
母がママさんバレーをやっていたのでよく練習について行っていました。そこでバレーボールに興味を持ち、他のお母さんのお子さんも入っていた小学校のバレーボールクラブに入りました。そのおかげか運動神経は良く、運動会のリレーの選手に選ばれていましたし、市の駅伝大会の選手にも選ばれていました。
何かおかしいな…
中学校に進学し、そこでもバレーボール部に入りました。半分以上は同じ小学校のバレーボール部に所属していた子たちで安心感がありました。経験者も多く、県大会出場を目指して頑張っていました。
異変を感じたのは中学2年生くらいの時でした。
最初は、運動すると息切れをするようになりました。
部活の朝練で学校の外回りを走っていました。今まで走るのが得意だったはずが、息切れするようになり、走るたびにどんどん順位が落ちていきます。最終的にはバレーボール部のメンバーの中でビリになってしまっていました。中学3年生の部活を引退するころには、メンバーとの距離が開きすぎてしまい、私が終わるまで待ってもらうようになってしまっていました。すごく悲しかったし、屈辱的でした。。
また、手荒れもひどくなりました。
もともとアトピーがあったので、手荒れもそのせいかと思っていました。
しかし、何かが当たったからなのか、中指の付け根の関節(手の甲側)に傷ができ、穴が開いているような、皮膚と皮膚の間に空洞ができているような状態になりました。特に痛みはなかったので、空気を入れたり出したりして遊んでいたのですが(笑)
あとは、むくみです。
朝起きると手がむくみ、動きづらくなりました。こわばりもあった気がします。
特に嫌だったのが顔のむくみです。頬とまぶたが特にむくんでいて顔がパンパンでした。中学3年生の時の写真はもう見たくないほどです。修学旅行も卒業写真もその顔です。。
異変を感じたので市立病院で診てもらうことにしました。検査等をして小児科の先生に診てもらったところ、膠原病の患者さんで上がってくる抗体値が高いということで、膠原病だろうということでした。そのときは「だろう」でした。
定期的に病院に通い変化がないか診てもらっていましたが、特に治療という治療はしていませんでした。
転機
息切れ、手荒れ、むくみはひどくなる一方、治療もできず通院を続ける日々でしたが、中学校を卒業するということで、これまで通っていた診療科が小児科だったので診療科を移る必要がありました。そのタイミングで小児科の先生からこのような提案がありました。

大学病院の先生が週1回診察に来ていますので、一度診てもらいましょう。
あきらかに症状が出ているのに治療もしていなかったので、藁にもすがる思いで大学病院の先生に診てもらうことを決めました。
後日、緊張しながら診察室に入ると、優しそうな女性の先生が座っていました。症状を話し、手荒れのひどかった手をみてもらうと、すぐに…

これは、「強皮症」です! すぐに大学病院で検査してください!
と言われました。
すぐに大学病院での検査入院を手配してくれ、春休みを利用して検査入院することになりました。
診断
ひと通り検査し終わり、ついた診断名が「全身性強皮症」でした。
やっと、診断名がついたとほっとしたのを覚えています。ささいなことですが、症状などについて聞かれたときにどういうふうに説明したらいいかわからなかったので、診断名がついたことで他の人に説明しやすくなりました。
その後は定期的に大学病院に通うことになりました。また、激しい運動も制限されたので、体育の授業はできることだけ参加しました。
伝えたいこと
発症と診断までを通して私が伝えたいことは以下の通りです。
何か異変を感じたら早めに病院に行ってください。
よく聞く言葉ですが、本当に大事なことです。
がんだった場合は早期発見できて助かる確率が上がりますし、私のように難病だった場合も早めに治療を開始でき苦しむ期間が短くなる可能性があります。また、病気でないことがわかるかもしれません。それはそれで安心できます。病院が嫌いという方や通院する時間がつくれないという方もいらっしゃいますが、人生を左右するかもしれないので最優先で行動してほしいと願っています。
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